Home > 作曲家リスト
作曲家リスト
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、ドイツの作曲家。クラシック音楽史上極めて偉大な作曲家の一人とされます。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされています。
作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていました。この作風は、ハイドン、モーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もあります。
1802年の一度目の危機は、遺書を書いた精神的な危機です。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出しました。ウィーン古典派の2人の先達よりも、徹底して形式的・法則的なものを追求しました。この後は、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功しました。中期の交響曲はスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出しています。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えました。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随しました。
1818年の二度目の危機の時にはスランプに陥っていましたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究しました。対位法は中期においても部分的には用いられましたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えたそうです。変奏曲やフーガはここに究められました。これにより晩年の弦楽四重奏曲、ピアノソナタ、交響曲第9番、『荘厳ミサ曲』、『ディアベリ変奏曲』などの後期の代表作が作られました。
代表曲
管弦楽曲:『レオノーレ』序曲第1番・序曲第3番、『コリオラン』、『命名祝日』
協奏曲:『ピアノ協奏曲第5番』、『ヴァイオリン協奏曲ニ長調』、『三重協奏曲』『合唱幻想曲』
室内楽曲:『弦楽四重奏曲』、『弦楽五重奏曲』、『ヴァイオリンソナタ』、『チェロソナタ』
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトはドイツの作曲家、演奏家です。古典派音楽の代表であり、ハイドン、ベートーヴェンと並んでウィーン古典派三大巨匠の一人。称号は神聖ローマ帝国皇室宮廷室内作曲家、神聖ローマ帝国皇室クラヴィーア教師、ヴェローナのアカデミア・フィラルモニカ名誉楽長などを勤めたそうです。
最初は父経由でヨハン・ショーベルトなどの当時のヨーロッパで流行した作曲家たちの様式を、チェンバロ曲を中心に学びます。その後ヨハン・クリスティアン・バッハの影響をピアノ・管弦楽曲の双方で受けました。モーツァルトの作品はほとんどが長調で、装飾音の多い軽快で優美な曲が多くなっています。これは当時の音楽の流行を反映したもので、ロココ様式あるいはギャラント様式と呼ばれます。彼が主に使用していたピアノの鍵盤が沈む深さは現代のピアノの約半分で、非常に軽快に演奏できるものであったことがその作風にも影響を与えました。晩年に向かうにつれて長調の作品であっても深い哀しみを帯びた作品が増え、しばしば「天国的」と形容されます。また、短調作品は非常に少ないながら悲壮かつ哀愁あふれる曲調となっています。
「下書きをしない天才」とも言われ、モーツァルトが非凡な記憶力を持っていたのは多くの記録からも確かめられていますが、自筆譜の中には完成・未完成曲含めて草稿及び修正の跡が多く発見されています。人気の高いピアノ協奏曲23番については、その数年前に書かれた草稿が発見されていますが、作曲するのが早かったのは事実であり、例えば交響曲第36番はリンツ滞在中に作曲されたが、父との手紙のやり取りから3日で書き上げたことが分かっています。モーツァルトの作品の多くは、生計を立てるために注文を受けて書かれたものです。モーツァルトの時代に限らず、何世紀もの間、芸術家は教皇や権力者などのパトロンに仕えることで生計を立てていました。幼いころから各地を巡業した理由のひとつが就職活動であり、ベートーヴェンのようにフリーランスとして生きていくことは非常に困難な時代でした。従って、モーツァルトの作品はその時代に要求された内容であり、たとえば長調の曲が多いのはそれだけ当時はその注文が多かったことの証でもあります。父の死後は依頼者のない作品が生まれています。これは、聴衆の嗜好に配慮せよとの父による規制が無くなったため、モーツァルト自身の目指す音楽に向かうことが可能になったからだそうです。思想的には、フリーメーソンに大きく触発されて、作品では特に『魔笛』、ピアノ協奏曲第20番にその影響が指摘されています。
代表曲
オペラ:『後宮からの誘拐』、『フィガロの結婚』、『ドン・ジョヴァンニ』、『魔笛』
交響曲:第25番、第38番『プラハ』、第39番、第40番、第41番『ジュピター』
セレナード:『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』、『セレナータ・ノットゥルナ』
ピアノソナタ:第11番『トルコ行進曲付き』
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、18世紀に活動したドイツの作曲家・器楽演奏家です。特に鍵盤楽器の演奏においては高名で、当時から即興演奏の大家として知られていました。西洋音楽史上における存在の大きさから、「音楽の父」と称されることもあります。ベートーヴェン、ブラームスとともに“ドイツ三大B”と呼ばれています。バッハ一族は音楽家の家系で、その他のバッハとの混乱を避けるためにJ.S.バッハと略記することがあります。また、バッハ家でもっとも偉大であるという意味で大バッハという呼び名も古くから使われています。
バッハは幅広いジャンルにわたって作曲を行い、オペラ以外のあらゆる曲種を手がけました。その様式は、通奏低音による和声の充填を基礎とした対位法的音楽という、バロック音楽に共通して見られるものでありますが、特に対位法的要素を重んじる傾向は強く、当時までに存在した音楽語法を集大成し、さらにそれを極限まで洗練進化させたものです。バロック時代以前に主流であった対位法的なポリフォニー音楽と古典派時代以降主流となった和声的なホモフォニー音楽という2つの音楽スタイルにまたがり、結果的には音楽史上の大きな分水嶺のような存在となっています。バッハはドイツを離れたことはありませんでしたが、勉強熱心で幅広い音楽を吸収しました。とりわけ、古典派のソナタにも比すべき論理性と音楽性を持つフーガの巨匠として名高い。現代においてもなお新鮮さを失うことなく、ポップスやジャズに至るまで、あらゆる分野の音楽に応用され、多くの人びとに刺激を与え続けています。
バッハの作品はシュミーダー番号(BWV)によって整理されています。「バッハ作品目録」は、1950年にヴォルフガング・シュミーダーによって編纂され、バッハの全ての作品が分野別に配列されています。また1951年からドイツのヨハン・ゼバスティアン・バッハ研究所で「新バッハ全集」の編纂が開始され、1953年にバッハアルヒーフもこの編纂に参加しますが、10年で終わると予想されていた編纂作業がドイツの東西分断などの事情で難航し2007年に「新バッハ全集」103巻が完成しました。「新バッハ全集」には1100の作品が収められています。現在も作品の整理は継続中です。
代表曲
管弦楽・協奏曲:『ブランデンブルク協奏曲』、『管弦楽組曲』、『G線上のアリア』
室内楽曲:『ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ』、『フルートとチェンバロのためのソナタ』
声楽曲:『マタイ受難曲』、『ミサ曲 ロ短調』、『マニフィカト』
ホーム > 作曲家リスト
- Search